天保のお蔭参り狂乱
どんな伝承か
天保元年から翌年にかけて、伊勢神宮へのお蔭参りが爆発的に流行した。厳しい取り締まりと苦しい暮らしのもとで楽しみの乏しかった農民たちは、貧富を問わず伊勢を目指して旅立ち、旅費を持たない者にも宿や食事などのいっさいが施された。村の取り締まりに構わず若者たちが勝手に出て行ったため「抜参り」とも呼ばれ、大阪町奉行所が禁じても収まらなかった。この年はまれに見る豊作で、桜塚村からは六人、南刀根山村からは五十七人が伊勢へ参ったという。
原典より
桜塚村では六人、南刀根山村では五七人もの者が伊勢神宮へ参拝した。—— 豊中市史 本編 第2巻(豊中市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
豊中市史 本編 第2巻(豊中市史)
『豊中市史 本編 第2巻』は、豊中市の市史本編の一冊で、ここにはその近世の民衆の動きを記した数頁を収める。天保元年(一八三〇)のお蔭参りとお蔭踊り、慶応三年(一八六七)秋からのお札降りが豊嶋郡の村々に広がった様子を、刀根山村や熊野田村の記録によって述べ、盲人が喜捨を求めて村々を回った事件にも触れる。刀根山村へのお蔭参りの押しかけを日付・村・人数ごとにまとめた第60表を挟む。