氏神との同居を嫌った開祖塚のお告げ
どんな伝承か
『田中村明細帳』によると、くろ田の開祖の塚と日切地蔵は、もとは字石が坪の東端、字牟田との境あたりに祀られていた。大正六年、明治高田鉱業所が鉱区をそこまで広げたため移すことになり、高さ五尺ほど、六畳ほどの広さの方形の塚を掘ると、五重の塔と刀が一振り出てきた。これらは田中区の八幡宮の境内へ移され、地蔵は字向田に移された。開祖とは立花山城の攻防の際に落ちのびた母子女三人の塚といわれ、古老は「ご開さん」と呼んでいた。大正十三年まで八幡宮に祀っていたが、田中区に疫病がはやって祈祷すると、氏神と同じ所では肩身が狭いので他へ移せとのお告げがあり、今の大楠の根元に移された。
原典より
このとき開祖のおつげに「産土神と同所に居ては、肩身がせまい、他に移せ」とのおつげがあったので、今の大楠の根元に祭祀されました。—— 篠栗町誌 民俗編――伝説・怪異(篠栗町(編)・篠栗町誌) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
篠栗町誌 民俗編――伝説・怪異(篠栗町(編)・篠栗町誌)
『篠栗町誌 民俗編――伝説・怪異』は、筑前の篠栗町の町誌民俗編から伝説の章を収めた部分である。鉾立山の玉依姫、若杉山の岩にまつわる弘法大師や鬼の伝承、薬師・地蔵・観音の霊験、平家岩や古井戸の言い伝えを番号つきの項で並べ、『筑前国続風土記』などの地誌や説明板の文を引く。後半では狐に化かされた話や狐憑き、狸の法座、巷の笑い話、若杉山の白蛇と杵蛇、河童の話を、古老の語りを交えて記す。