松浦佐用姫の領巾振り
どんな伝承か
宣化天皇の二年、新羅が任那に攻め入ったため、百済を救えとの命を受けて大伴金村の子狭手彦が出陣した。肥前まで来て海を渡るまでの間、ときおり足を止めた狭手彦は、松浦の長者の娘佐用姫と恋を語る仲になった。やがて船出の時が来ると、佐用姫は領巾振山、すなわち鏡山に登り、遠ざかる船に領巾を振って別れを悲しんだと伝わる。肥前唐津の松浦の虹の松原には佐用姫社があってこの伝説を伝えており、筑前の国司で歌人の山上憶良も、佐用姫の恋をしのんで、領巾を振ったことから名がついた山を歌に詠んだという。
原典より
宣化天皇(檜隈高田尊)の二年、朝鮮の任那へ新羅が侵入したとき、百済を救援せよとの宣旨によって大伴金村の子大伴狭手彦が出陣している。—— 胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説(胆沢町(編)・胆沢町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説(胆沢町(編)・胆沢町史)
『胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説』は、胆沢町の町史民俗編の一冊のうち、第四章「口承・伝説」を収めたものである。第一節は松浦佐用姫と高山掃部長者の伝説を扱い、胆沢・水沢周辺の伝説地を列挙したうえで、町内に伝わる佐夜姫の本地物の写本や『南部叢書』所載の「奥州胆沢高山実伝」を翻刻する。第二節「いさわの昔話」は大蛇・狐・むじな・飢饉・戦後の怪異などの話を番号順に並べ、第三節「いろいろな昔話」へと続く。