舟枝町の変遷
どんな伝承か
徳川治政のころの舟枝は本保領に属し、その勢いは四隣を圧していた。とくに相撲興業は当町の独占で、毎年九月朔日の宮ずもうには、近郷近在から数千人も集まるという盛況であった。町民の生計も日野川・鞍谷川の恩恵を受けて豊かであったが、日野川が西流するようになって用水が欠乏すると、極度の恐怖におそわれるようになった。大正十一年、五十余日にも及ぶ大干ばつに見舞われた時、町民は相計って、古老の口伝に残る古池に数千金をかけて工事を施した。その結果、四馬力で昼夜汲み上げても尽きないほどの水量を得て十数町の水田を潤すことができ、人々は喜んで池のほとりに不動明王をまつり、石碑を建立した。
原典より
徳川治政のころの舟枝は、本保領に属していて、その勢いは四隣を圧していた。—— 鯖江市史 史料編 第1巻(民俗編)――伝説(鯖江市(編)・鯖江市史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鯖江市史 史料編 第1巻(民俗編)――伝説(鯖江市(編)・鯖江市史・自治体史(民俗))
福井県鯖江市の地名にまつわる口承を、自然物(樹木)・岩石・山谷坂・池泉川・家屋敷・神社寺院祠堂・人物事件・霊異妖怪のカテゴリ別に網羅する。樹木では矢留めの一本杉、観音様の大杉、鐘鋳りの松、三峯の大いちょう、てんぐ松、柿の木と膳椀(膳椀貸し)、三度グリなど。