北太郎・加賀太郎の墓(日像上人法論)
どんな伝承か
徳前の重右衛門家の榎の下には墓石が二つ並び、石動山の山伏に殺された北太郎と加賀太郎の墓だという話がある。七百年ほど前、日蓮の孫弟子にあたる日像上人が、佐渡から七尾へ渡る船の上で石動山大宮坊の座主満蔵法印と法論を交わし、敗れた満蔵は日蓮宗に転じた。二人は石動山の衆徒三千人をも改宗させようと山に登ったが、多勢に無勢で逃げ出し、徳前で追っ手の山伏に追いつかれた。そこへ百姓の北太郎と加賀太郎が鍬や鎌を手に割って入り、山伏と渡り合って命を落とした。その隙に日像と日乗(満蔵)は西馬場から眉丈山を越えて落ちのびたと伝わる。
原典より
ちょうどそん時、北太郎・加賀太郎という二人の百姓が、その難を見て、持っとった鍬や鎌で山伏達と渡り合って、とうとう殺されてしもうたと。—— 鹿島町史 通史・民俗編――伝説(鹿島町(編)・鹿島町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鹿島町史 通史・民俗編――伝説(鹿島町(編)・鹿島町史)
『鹿島町史 通史・民俗編――伝説』は、鹿島町の町史通史・民俗編のうち、昔話と伝説の節と、続く「俗信と俚諺」の冒頭を収めたものである。石動山麓と邑知地溝帯の集落で聞いた話を、芋掘り権兵衛や屁売りじいさなどの昔話、亀塚や椀貸穴などの自然伝説、初瀬の観音様や井田の不動滝の信仰伝説、久江の道閑や村境を決めた話の歴史伝説に分け、在所名を添えて載せる。伝承の状況や語り始めと結びを述べた解説を前に置く。