久乃木神社と柏の后
どんな伝承か
久乃木の氏神の久乃木神社は、もとは白山神社といい、祭神は久々理姫命とも柏の后ともいう。柏の后は文武天皇の子である草壁皇子の妃だったと伝えられ、この地に宮を建てたのち京都へ帰ったが、没後に村人が遺骨を分けてもらって宮に葬ったという。社の横の五輪塔や板碑がその墓とされ、后の住まいの跡を御所屋敷、稲を作った田を宮田と呼ぶ。二十数年前、飯川の男が本殿に入り込んで火を焚き社殿が焼けたが、御神体の木像だけは無傷で残った。同じ頃、后の子の墓とされる所を掘った区長は、しゃっくりが三日三晩止まらず、それがもとで亡くなったという。
原典より
その時、不思議な事に、御神体の木像だけは、全然火がかからず、完全な形のままで残った。—— 鹿島町史 通史・民俗編――伝説(鹿島町(編)・鹿島町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鹿島町史 通史・民俗編――伝説(鹿島町(編)・鹿島町史)
『鹿島町史 通史・民俗編――伝説』は、鹿島町の町史通史・民俗編のうち、昔話と伝説の節と、続く「俗信と俚諺」の冒頭を収めたものである。石動山麓と邑知地溝帯の集落で聞いた話を、芋掘り権兵衛や屁売りじいさなどの昔話、亀塚や椀貸穴などの自然伝説、初瀬の観音様や井田の不動滝の信仰伝説、久江の道閑や村境を決めた話の歴史伝説に分け、在所名を添えて載せる。伝承の状況や語り始めと結びを述べた解説を前に置く。