髷に結ばれた天保銭と降る一文銭
どんな伝承か
丹羽郡前野村の吉田茂平治が後に記した「書留帳」によると、慶応三年十一月、村に突然お札が降ってきた。吉田家には伊勢太神宮の札が一体、ほかに伊右衛門・弥七郎・茂右衛門・太十の家など五、六軒の庭先にも降り、村人は前代未聞の吉事として丁重に祀り、世直しの前触れかとも記された。これより前の同年八月には、天から一文銭がたくさん降って皆を驚かせている。翌慶応四年一月、元服して宗重郎と名を改めた若者が名代として隣村の石枕村へ使いに行き戻ってみると、髷に天保銭一文が稲穂で結びつけられていた。同行した村役も誰一人気づかず、春に稲穂があるはずもないとして、狐狸の仕業かと書かれている。
原典より
(慶応四年)壱月の事なれば春なり、稲穂などあるまじく、不思議なる出来事に御座候。—— 愛知民衆運動の歴史 新版 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
愛知民衆運動の歴史 新版
『愛知民衆運動の歴史 新版』は、愛知の民衆運動の歩みをたどる歴史書の新版である。慶応三年の「ええじゃないか」を扱う節で、三河国渥美郡牟呂村・羽田村に始まる伊勢神宮などのお札降りが、吉田宿、名古屋城下、稲沢・尾西・小牧・江南などへ広がった経過を、神官の留記や村の日記、『丁卯雑拾録』『感興漫筆』などの記録から跡づける。名古屋で降った札の種類と枚数の順位表を掲げ、降札を仕掛けた者をめぐる当時の見方と、騒ぎを担った民衆の姿を論じる。