熊本で透視を示した御船千鶴子
どんな伝承か
御船千鶴子は明治十九年の生まれで、義兄清原猛雄の催眠による導きで精神統一を重ねるうち、明治四十一年に透視の力が現れた。患者の体を透かし見る評判が立って門前に人が群れ、明治四十三年二月からは福来友吉が熊本の済々黌校長井芹経平を介して通信で実験を始めた。四月には京都大学の今村新吉とともに熊本へ来て、清原の治療室や熊本市の長崎伊太郎の別邸で、茶壺と木箱に封じた文字を読ませたところ、三度とも完全に言い当てた。だが九月の東京での実験で鉛管をすり替えたと非難され、翌年一月十八日、二十五歳で毒を仰いだ。
原典より
第一回目は約十分で「遥遣求閑寥」と、第二回目は約八分で「満操逐」と、第三回目は約十五分で「解尋誰索論」と解答した。—— 新心霊科学事典 ― 人類の本史のために(田中千代松(編)・心霊科学・超心理学 事典・1984年(昭和59年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
新心霊科学事典 ― 人類の本史のために(田中千代松(編)・心霊科学・超心理学 事典・1984年(昭和59年))
『新心霊科学事典――人類の本史のために』は、田中千代松が一九八四年に編んだ心霊科学の事典である。十九世紀半ばのハイズヴィル事件に始まるスピリチュアリズムと心霊研究・超心理学の用語、国内外の研究者・霊媒・研究団体を、多くの寄稿者の執筆による項目で解説する。巻頭の論説「人類の将来」、五十音順の「現象編」と「人物・組織編」、巻末の「総括と展望」とあとがきから成る。