被服廠跡に積み上がった焼死体
どんな伝承か
関東大震災の火が収まると、著者は陸軍のトラックに乗せてもらって被服廠の跡へ駆けつけた。いまは震災記念堂が建つ場所で、ここだけで六万人もの人が亡くなった。焼死体はぼろ屑の山のように積み重なり、親の腕に七、八人の子がしがみついたまま死んでいた。死骸の山から助かった出版社の社員の話では、巡査が荷物を捨てろと叫んでも群衆は家財を抱えてなだれ込み、荷から荷へ火が移って、わずか二十分ほどで猛火の渦になったという。熱風で馬車まで宙に巻き上げられ、安田邸の大榎の枝には大八車が逆さまに引っかかっていた。
原典より
安田邸のあの大榎の枝へ大八車がさかさまになってひっつかっていた。—— 私の心霊術(長田幹彦・1955年(昭和30年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
私の心霊術(長田幹彦・1955年(昭和30年))
『私の心霊術』は、長田幹彦が昭和三十年に著した心霊研究の随筆集である。死後に残る霊や地獄・極楽をめぐる考えを述べ、熊本の家系や安達謙蔵との交わり、東京放送局の文芸顧問だったころの回想、霊友会など戦後の新興宗教への批判、前著『霊界』への反響と自らの信仰を語る。「心霊科学の来世観」「霊界の構造」「ぼくの信仰」などの章からなり、末章「ある霊媒の生態」では霊媒服部との実験とそのトリックの顛末を描く。