喜慶が五壇法の中壇不動を修す
どんな伝承か
不動法が五大明王の五壇の形式と結びつき、宮廷の儀礼として定まったのは、『五壇法日記』によれば村上天皇の応和元年(九六一)三月が最初とされる。この初例で、中央の壇の不動明王の修法を受け持ったのは権律師喜慶であった。喜慶は不動法を切り開いた相応の弟子で、尊意からも瑜伽法を授けられたという。初例の修法は比叡山の大日院で行われ、その後も法性寺などの大寺や、ときには内裏の各所に仮に五壇を設けて執り行われた。五壇法は皇后の出産や東宮の立坊、天皇の病の平癒を祈る秘法として期待されるようになった。
原典より
五壇法修法の初例は、すでにふれたように応和元年三月であるが、このとき中壇の不動明王によって修法を行なったのは権律師喜慶であった。—— 日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・1976年(昭和51年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・1976年(昭和51年))
『日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史』は、山折哲雄が霊魂と身体の相関を軸に日本人の霊魂観を論じた論考集で、あとがきは一九七六年六月の日付である。序章で和辻哲郎・津田左右吉・折口信夫・柳田国男らの霊魂論を検討し、『日本霊異記』の蘇生説話にみる遊離魂と殯、天皇の病と看病僧の呪法、平安宮廷の物のけと不動法、源信『往生要集』の観想を各章で論じる。雑誌に発表した論文をまとめ、巻末に物のけ現象の資料と憑霊年表を付す。