風呂敷嫁と聟の喰い逃げの祝言
どんな伝承か
奥多摩湖に沈む前の小河内村小留浦では、古老の話によると明治のころの祝言は「風呂敷一枚で嫁にきた」と言われるほど質素で、奉公先から呼び戻されて嫁ぐ娘が多かった。縁談は若者組の夜遊びから始まることもあったが、多くはハシカケセワニンが下話をまとめ、嫁方でギジョウの酒宴を開いてから一週間ほどで祝言となった。当日の朝、聟は嫁方で親子の盃を交わすと宴の途中でひとり家へ戻ってしまい、土地ではこれを聟の喰い逃げと呼んだ。嫁は夕方に行列を組んで聟方へ入り、三日目のミツメに初めて里帰りした。
原典より
古老の語るところによると、以前(明治時代)のシュウゲン(祝言)は、「風呂敷一枚で嫁にきた」といわれるほど、きわめて簡単であった。—— 霊魂観の系譜――歴史民俗学の視点(桜井徳太郎・桜井徳太郎・歴史民俗学・1977年(昭和52年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊魂観の系譜――歴史民俗学の視点(桜井徳太郎・桜井徳太郎・歴史民俗学・1977年(昭和52年))
『霊魂観の系譜――歴史民俗学の視点』は、桜井徳太郎が一九七七年(昭和五十二年)に著し、筑摩書房から刊行した論文集である。昭和三十二年から五十年にかけて学会誌や雑誌、新聞に発表した論考を収め、民俗学と歴史研究の関係、郷土の民俗像の史的復元、古代のシャマニズムと憑霊、呪いの人形、怨霊から御霊への死霊観を論じる。後半で折口信夫の巫女観と柳田国男の祖先観を検討し、巻末にあとがきと初稿発表覚書を付す。