温羅と吉備津彦命の伝説(鳴釜神事の起源)
どんな伝承か
垂仁天皇(崇神天皇とも)の代、百済の王子温羅が吉備に来て新山に城を構え、吉備冠者を名乗った。四メートルを超す赤髪の大男で、都への貢ぎ船を襲い女をさらうので、人々は鬼と恐れ城を鬼ノ城と呼んだ。遣わされた五十狭芹彦命は、湯で傷を癒やし矢を空中でかみ合わせる温羅に手を焼いたが、住吉大明神の告げで二矢を同時に放ち左目を射抜いた。雉や鯉に化けて逃げる温羅を鷹や鵜となって捕らえ、首をさらした地が首村(久米)という。吉備津宮の釜殿の下に埋めた首はなお唸り続けたが、温羅が夢で妻の阿曽媛に神饌を炊かせよと告げ、これが鳴釜神事の始まりと伝わる。
原典より
これが吉備津宮の鳴釜神事の起源であり、いまも総社市阿曽の女性が鳴釜に仕えている。—— 総社市史 民俗編 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
総社市史 民俗編
『総社市史 民俗編』は、総社市の市史のうち民俗を扱う巻で、ここにはその第十一章「口頭伝承」の一部だけが収められている。昔話の節は法事帰りの御馳走が消える話二つ(一つは冒頭を欠く)にとどまり、伝説の節では鬼ノ城にまつわる温羅と吉備津彦命の伝説を詳しく語り、日羽の鬼の足跡や市内各地の姥棄山の伝えにもふれる。続く民謡の節は、『吉備郡民謡集』や『山家鳥虫歌』に載る備中の歌を紹介する書き出しで終わる。