情けが毘沙門・夷・弁財天に
どんな伝承か
母と再会した小夜姫が天女の教えどおり玉の力を頼むと、観音の方便と親孝行の徳によって、失われていた宝が再び授けられた。奥州胆沢郡下胆沢の郡司兵衛吉実の北の方は、姫に情けをかけた功徳で毘沙門天と現れ、今も仰がれている。吉実は十月二十日に、どこからともなく飛来したものから商恵比寿となれとの神勅を受け、この日を祝うようになったのが今に続く夷講だという。小夜姫は後生のために堂を建て、大川に橋を架け、貧しい者に情けをかけ、昼は経を読み夜は座禅を組んで暮らし、百三十三歳で身から光を放って、近江の竹生島に社を構える弁財天と現れたと伝わる。
原典より
此時替らせ給いて身より光を放ち近江の国竹生島御社構え弁財天と現われ玉う。—— 胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説(胆沢町(編)・胆沢町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説(胆沢町(編)・胆沢町史)
『胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説』は、胆沢町の町史民俗編の一冊のうち、第四章「口承・伝説」を収めたものである。第一節は松浦佐用姫と高山掃部長者の伝説を扱い、胆沢・水沢周辺の伝説地を列挙したうえで、町内に伝わる佐夜姫の本地物の写本や『南部叢書』所載の「奥州胆沢高山実伝」を翻刻する。第二節「いさわの昔話」は大蛇・狐・むじな・飢饉・戦後の怪異などの話を番号順に並べ、第三節「いろいろな昔話」へと続く。