天満宮縁起(九左衛門新田)
どんな伝承か
旭町四丁目の天満宮には、鳥居をくぐった左手に縁起碑が立っている。旭町はかつて九左衛門新田と呼ばれ、碑はその開拓を記念して、開拓の祖猪野九左衛門知勝から七代目の猪野治兵衛知基が、嘉永五年に社殿を建て直したときに建てたものである。碑によれば、下野の佐野の猪野監物藤原知吉の嫡男だった知勝は、わけあって武士をやめ、いまの川口市安行領家に移り住んだ。のちに村人の信頼を集め、寛永三年に新田の開発に乗り出し、六年には四十一町余りの沼地を田に変えて村を栄えさせ、村名も九左衛門新田となった。開拓がひと段落した万治元年、知勝は屋敷の脇に天神社を建てて一族の守り神とし、それがいまの天満宮だという。
原典より
そうした開拓が一段落した万治元年(一六五八)十一月、天神社を屋敷の脇に造営し、わが一族の守り神として深く信仰したという。—— 草加市史 民俗編――伝説(草加市(編)・草加市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
草加市史 民俗編――伝説(草加市(編)・草加市史)
『草加市史 民俗編――伝説』は、草加市史民俗編のうち「二 伝説」の章である。地名起源・塚・神々・地蔵・薬師・観音・その他の神仏・旅の僧・動物と妖怪の九節で、柿木や青柳の地名の由来、毛長神社の御神体、疣地蔵や火あぶり地蔵、雨乞いの龍、むじな大尽などを、『新編武蔵風土記稿』や縁起碑、土地の伝えによって記す。第十節「世間話」は狐・むじな・狸・雷獣の聞き書きを集め、話ごとに町名と話者の頭文字・生年を添える。