用水を開いた中野伝右衛門の屋敷跡
どんな伝承か
集落の西のはずれに、東西百三十メートル、南北九十メートルほどの土居と堀の跡が残っていた。徳川の世の初めごろ、この付近の村々は用水をめぐる争いが絶えず、のちに中野七村と呼ばれる七つの集落はひどく疲れ果てていた。これを見かねた豪族の中野伝右衛門が自分の財を投じて用水路を開き、農民を救ったという。屋敷跡がこの場所である。人々はその徳を慕って中野神社の境内に堂を建てて祀り、のちに神社へ合祀した。中野町の名も伝右衛門の姓に由来すると伝えられる。
原典より
昔、部落の西の方に東西約百三十メートル、南北約九十メートルにも及ぶ土居堀の跡があった。—— 鯖江市史 史料編 第1巻(民俗編)――伝説(鯖江市(編)・鯖江市史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鯖江市史 史料編 第1巻(民俗編)――伝説(鯖江市(編)・鯖江市史・自治体史(民俗))
福井県鯖江市の地名にまつわる口承を、自然物(樹木)・岩石・山谷坂・池泉川・家屋敷・神社寺院祠堂・人物事件・霊異妖怪のカテゴリ別に網羅する。樹木では矢留めの一本杉、観音様の大杉、鐘鋳りの松、三峯の大いちょう、てんぐ松、柿の木と膳椀(膳椀貸し)、三度グリなど。