隅の方と同じ日に死んだ名馬磨墨
どんな伝承か
梶原景高の妾であった隅の方は、梶原家が没落したのち、七人の家臣とともに一子の豊丸を連れて生まれ故郷の羽黒村へ移り住んだ。隅の方が世を去ったその同じ日に、連れて来た名馬の磨墨も死んだので、隅の方の墓のかたわらに葬ったという。今も里人はここへ参り、そばの笹の葉を黒焼きにして腫物の薬にしている。羽黒村には梶原屋敷と呼ばれる場所もあったと伝わる。なお、梶原景季がこの地に住み、名馬磨墨の死後に埋めて塚を築いたという別の言い伝えもある。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説名彙(柳田国男・日本放送協会・昭和25年刊)
柳田国男・日本放送協会編『日本伝説名彙』を全650話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。