魔が淵の高木惣吉の幽霊
どんな伝承か
大分市の郊外の柞原に、魔が淵と呼ばれる冷たく陰気な淵があった。明治二十四年の夏、二十五歳の高木惣吉がそこで泳いでいて溺れ死んだ。翌年の夏、十二、三歳の子ども三人が淵へ泳ぎに行き、岩の上に着物を脱いで淵に近づいたとたん、叫び声を上げて近くの藤沢三郎の家へ逃げ込み、真っ青になって倒れた。正気づいた三人は、惣吉が岩の上に立って手を振り叱ったと口をそろえた。信じない若者五人が淵を見に行くと、飛び込んだ三人は渦に巻かれて溺れかけ、残る二人は手を振る薄い影を見たという。著者は子どもたちから直接話を聞いている。
原典より
あとでの話に、どうも惣吉の幽霊らしい薄い影見たやうなのが、頻りに手を振つたといふのであつた。—— 修羅挑天 仏教より観たる幽霊の正体(修羅挑天・仏教・幽霊論・1931年(昭和6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修羅挑天 仏教より観たる幽霊の正体(修羅挑天・仏教・幽霊論・1931年(昭和6年))
『仏教より観たる幽霊の正体』は、修羅挑天が著し、昭和六年に中央出版社から発行された、仏教の立場からの幽霊論である。霊魂観念の変遷、四悪趣と幽霊、幽霊の定義と分類を説き、責任感の強い幽霊・嫉妬の幽霊・復讐する幽霊などを、新聞記事や著者が自ら調べた明治から昭和初めの実例、英国の霊媒の家や天津での見聞で示す。緒説と十段からなり、後半では倶舎論・唯識論・起信論・法華経・真言密教・浄土門の教えに照らして幽霊を論じている。