老僧浄源坊の死の観察
どんな伝承か
京都大学の大学院で東洋哲学を研究し、臨終の観察を重ねていた中川氏に誘われ、著者は老僧浄源坊の死に立ち会った。蹴上の水道の下の小さな寺で、六十三歳の浄源坊は肝臓を病んで死を覚悟し、自分の臨終と死後をよく観察してくれと頼んだ。夜七時ごろから口を閉ざし、十二時に息が絶えた。浄源坊は死体が腐るまで見守る約束を中川氏としており、二人は水音の激しい山寺に泊まり込んだ。四日目ごろから変色が始まったが目立った変化はなく、六日目の晩に著者が音を上げ、翌日遺体は火葬場へ送られた。浄源坊は霊界の記録を、念によって他人の夢に書くと言い残していたという。
原典より
浄源坊は今度こそしずかに絶息するからじぶんの枕もとに坐ってよく観察していてくれと別に臆びもしなかった。—— 霊界五十年(長田幹彦) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊界五十年(長田幹彦)
『霊界五十年』は、長田幹彦が自らの心霊体験を一人称でつづった随筆集である。霊媒亀井三郎の実験に立ち会った話に始まり、大正十四年に東京中央放送局で見た変死した技師の霊、自殺者の霊、神隠し、心霊写真、死者の霊との交わりなど、長年にわたって見聞きした出来事を語る。「亀井霊媒の実験」「放送局の幽霊」「霊界夜話」「幽霊のキスマーク」などの短い章を連ね、心霊研究の知人や医師との問答を多く交える。