津止め破りと馬荷差押え
どんな伝承か
吉五郎一件が村役人の奔走で落着した後、赤須・上穂の八か村はむしろ穏やかに日を送っていたが、張りつめた空気が消えたわけではなかった。慶応二年二月、米の値上がりを受けて、赤須と上穂の両町は町の外へ米を出さない津止めを、町内だけで取り決めた。ところがこの取り決めを破る者が出て、嘉蔵がみずから馬に積んだ荷を押さえるという事件が起きた。両町が早くから津止めに踏み切ったのは、前の年の吉五郎一件で得た教訓によるものだったと見られている。
原典より
慶応二年二月、赤須・上穂両町では町内限りの津止めを申し合わせたが、津止め破りが発生し、嘉蔵自身が馬荷を差し押えるという事件があった。—— 駒ケ根市誌 近世編 お札降り(駒ケ根市誌) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
駒ケ根市誌 近世編 お札降り(駒ケ根市誌)
『駒ケ根市誌 近世編 お札降り』は、『駒ケ根市誌』近世編のうち、幕末の世情と「お札降りと民衆の狂乱」を記した一節である。慶応期の凶作と米価騰貴のなかで起きた吉五郎一件、松本平の打ちこわし、伊那谷の小作争議に続いて、慶応三年秋に赤須・上穂の宿場や村々へ伊勢大神宮の御祓などが降り、酒宴やヤッチョロ踊りの狂乱に広がったさまを述べる。上穂町の「大沼日記」と上穂村の「横山日記」を引いて日を追ってたどり、大政奉還から戊辰戦争へ向かう政局に結ぶ。