宿場に降った伊勢の御祓様
どんな伝承か
お札降りは名古屋の方面から伊那街道を伝って伊那谷へ入ってきたらしい。慶応三年九月二十六日ごろ、飯田町に伊勢の御祓様が降ったといううわさが届いたが、その日にはすでに上穂の宿場にもお札が降っていた。宿場では坂かじやの仙助の家や梅屋に降り、一叶をはじめ北町の方からもあれこれの話が聞こえてきたので、大沼嘉蔵はまず一叶へ祝いに出向いた。翌二十七日の夜には梅屋で祝いの酒をふるまわれて帰ったと、嘉蔵は日記に記している。
原典より
九月二十六日頃、飯田町へ「伊勢御祓様」が降ったという噂が伝わってきたが、その日にはもうこの宿場へも降札があった(「大沼日記」)のである。—— 駒ケ根市誌 近世編 お札降り(駒ケ根市誌) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
駒ケ根市誌 近世編 お札降り(駒ケ根市誌)
『駒ケ根市誌 近世編 お札降り』は、『駒ケ根市誌』近世編のうち、幕末の世情と「お札降りと民衆の狂乱」を記した一節である。慶応期の凶作と米価騰貴のなかで起きた吉五郎一件、松本平の打ちこわし、伊那谷の小作争議に続いて、慶応三年秋に赤須・上穂の宿場や村々へ伊勢大神宮の御祓などが降り、酒宴やヤッチョロ踊りの狂乱に広がったさまを述べる。上穂町の「大沼日記」と上穂村の「横山日記」を引いて日を追ってたどり、大政奉還から戊辰戦争へ向かう政局に結ぶ。