三島宿本陣に降った金塊
どんな伝承か
山中宿を過ぎた幕臣堤氏の一行が三島の宿駅で本陣に着くと、この家では金塊が降ったといってそれを祭っていた。神前に供えた品だという一尺四方の鏡餅が隊長の今堀に差し出され、皆が気味悪がるなか、堤が代わりに参拝して初穂の金百疋を供え、降ったという金塊をよく見た。白っぽい金色の大きな岩のような塊で、まぶしく光っていたという。主人の話では、前夜遅く通りがかりの者から、お宅に天から金の玉が降ったと知らされ、起きて表玄関へ出てみると、どこからどうやって来たのか、たしかにそれが置かれていたという。
原典より
衆甚だ奇怪に堪へず、余は衆の御代拜申すべしとて、初尾金百足を神前に備へ、御降りの金塊と曰ふを熟視するに、白金様のいと大なる岩の如き物にて、金色輝き、周圍まばゆし。—— 日本社会経済史の諸問題-維新の御札降り(土屋喬雄) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本社会経済史の諸問題-維新の御札降り(土屋喬雄)
『日本社会経済史の諸問題-維新の御札降り』は、土屋喬雄の論集『日本社会経済史の諸問題』のうち、昭和六年に『中央公論』へ発表した論考「維新のお札降り」を収めたものである。慶応三年秋から京都・大阪を中心に起こり、東海道や江戸、淡路、高松にまで広がったお札降りと「えいぢやないか」の騒ぎを、大隈重信らの目撃談、幕臣の手記、流行唄、年表類から描く。騒ぎの背景に開港後の物価騰貴と王政復古への期待を見て勤王派の関与を論じ、末尾に次章の冒頭が続く。