文政十三年刈谷町のお札降り
どんな伝承か
刈谷町では、慶応三年より前の文政十三年にもお札降りがあった。九月十三日と十五日に神仏のお札が降ると、町はひとまず末町にある秋葉宮の境内に仮の御殿をこしらえ、七日間にわたって祭りを催した。その後、九月二十二日に降ったお札を市原神社の中にある古い宮へ納め、このときのお札降りは終わったという。のちの慶応三年には町や村々で百九十一枚もの札が降り、祭りが繰り返される騒ぎとなったが、文政のときはそこまでの騒ぎにはならなかったと伝わる。
原典より
刈谷町へのお札降りは、文政十三年九月十三日,十五日にもあり、その時にはとりあえず末町の秋葉宮境内に仮御殿を建て、七日のあいだ祭りを行っているが、…—— 刈谷町庄屋留帳 第18巻(刈谷町庄屋留帳) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
刈谷町庄屋留帳 第18巻(刈谷町庄屋留帳)
『刈谷町庄屋留帳 第18巻』は、刈谷町の庄屋の留帳を収めた刊本の第十八巻から、巻の解説の一部を写したもので、写しは神楽山騒動の段の途中から始まる。慶応三年九月から十一月にかけて刈谷の町や村々に神仏のお札が降り、人々が七日七夜の祭りを繰り返したことを、疫病の流行や施米・施粥とあわせて述べ、文政十三年の例とも比べる。慶応四年二月の刈谷藩家老殺害事件の書き出しで文が切れ、降ったお札の種類と月ごとの枚数の表(計百九十一枚)が末尾に付く。