松本平の打こわし騒動
どんな伝承か
慶応二年八月十七日、松本平で米穀商や豪農が米を買い占めたことに怒った農民たちが立ち上がり、米屋・地主・質屋・酒造りの家などを襲って打ち壊した。木曽の宮の越から藪原、奈良井、贄川、本山、洗馬あたりの者が加わり、うわさでは二千人ほどが押し歩いて、大きな家に火まで放ったという。壊された家は二十七軒に上ったが、願いを聞き入れて炊き出しをし、米四十俵を差し出した家は見逃されており、手当たりしだいの乱暴ではなかったらしい。騒ぎは松本・高遠の両藩の武力で鎮められ、首謀者は打首・獄門に処された。信濃では最も大きく激しい騒動だったという。
原典より
米穀商や豪農の米の買占めに激昂した農民らが蜂起し、米穀商・地主・質屋・酒造業者などを襲って打こわした。—— 駒ケ根市誌 近世編 お札降り(駒ケ根市誌) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
駒ケ根市誌 近世編 お札降り(駒ケ根市誌)
『駒ケ根市誌 近世編 お札降り』は、『駒ケ根市誌』近世編のうち、幕末の世情と「お札降りと民衆の狂乱」を記した一節である。慶応期の凶作と米価騰貴のなかで起きた吉五郎一件、松本平の打ちこわし、伊那谷の小作争議に続いて、慶応三年秋に赤須・上穂の宿場や村々へ伊勢大神宮の御祓などが降り、酒宴やヤッチョロ踊りの狂乱に広がったさまを述べる。上穂町の「大沼日記」と上穂村の「横山日記」を引いて日を追ってたどり、大政奉還から戊辰戦争へ向かう政局に結ぶ。