佐倉惣五郎と甚兵衛渡し
どんな伝承か
堀田領では年貢が重く、凶作の年でも取り立てが厳しかったため、農民は苦しんでいた。惣五郎は役人や領主に願っても聞き入れられず、ついには訴状を竹の先に挟んで将軍に直訴し、訴えは取り上げられた。しかし領主ににらまれ、佐倉の酒々井の先の亥鼻台で、妻子ともども打ち首になったと語られる。直訴の前、村の様子と妻子を一目見ようと引き返した惣五郎が印旛沼の渡しに着くと、役人が先回りして舟を鎖でつなぎ錠をかけていた。船頭の甚兵衛じいさんは鉈で鎖を断ち切り、惣五郎を乗せて沼を渡してやったという。その渡しは甚兵衛渡しと呼ばれ、今もあると語り手はいう。
原典より
それが、甚兵衛ちゅうじいさんが、「まあ、佐倉の丹那が船に乗って、これからまた往ぬんじゃあしょうがない。」といって、鉈(なた)でもって鎖を断ち切って、惣五郎を乗せて、印旛沼を渡してやるんだよねえ。—— 勝田の民俗――千葉県八千代市勝田(民俗調査報告 第8号・民俗調査報告) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
勝田の民俗――千葉県八千代市勝田(民俗調査報告 第8号・民俗調査報告)
『勝田の民俗――千葉県八千代市勝田』は、民俗調査報告の第8号として勝田の民俗を調べた報告書のうち、「VII 口承文芸」の部分である。昔話・伝説・世間話・なぞの四節に分け、狐女房と女化神社の由来が結びついた昔話、親が汲むと酒になる「子は清水」や佐倉惣五郎の伝説、狐やムジナに化かされた話、狐憑き、神隠し、カマイタチ、幽霊、力石などの世間話を、話者からの聞き書きで収める。多くの話に話者名と生年を添え、狐女房と「子は清水」には解説を付す。