義民佐七と当たる祈禱の流行神
どんな伝承か
三反田と中根の境の、もとは藪だった所に、腹切り佐七、佐七様と呼ばれる流行神があり、いまは日蓮宗の佐七山福道寺となっている。伝説では、享保八年に長雨で一帯が凶作となったのに、お上は年貢を取り立てたので、苦しんだ村人はムラを離れてしまった。佐七は村人に代わって年貢を納め続けたが行き詰まり、妻子四人を手にかけて自らも腹を切り、苦しみを訴えた。村人は手厚く葬った。藪には墓や盆踊りの場があり、いつしかやって来た老婆の祈禱や占いがよく当たると評判になって、病人が出ると佐七様へ尋ねに行く者が増えた。老婆は屋敷に埋められた死者の祟りだとして霊神様に祀るよう勧め、家相や姓名判断もして信者を集めた。
原典より
そこで佐七はムラ人にかわって年貢を納めていたが、ついにいき詰ってしまい、妻子四人を殺して、自分も切腹して死んで苦しみを訴えた。—— 勝田市史 民俗編――小祠の信仰と流行神(勝田市(編)・勝田市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
勝田市史 民俗編――小祠の信仰と流行神(勝田市(編)・勝田市史)
『勝田市史 民俗編――小祠の信仰と流行神』は、勝田市の市史の民俗編のうち、「信仰生活」の部の一部である。鎮守祭礼の移り変わりに続いて、屋敷神や同姓の家々で祀るウジガミと系図祭り、カマド神やエビス・大黒などの屋内の神々、病気や安産の祈願を集める小祠を、市域のムラでの調査と聞き取りによって記す。後半では流行神として上高場の六地蔵、腹切り佐七、塚信仰、東石川大島の無縁様を取り上げ、その由来と信仰の広がりをたどる。