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六地蔵(流行神)

所在地茨城県ひたちなか市大字高場上高場(六地蔵)
年代大正一〇年(1921)頃まで
登場大森常、住谷次郎右衛門、上高場の人々、地蔵堂の仕守をした家の主、もと安産のお守りを出した家の主
出典勝田市史 民俗編――小祠の信仰と流行神

どんな伝承か

上高場の六地蔵は、大正一〇年ごろまでは野ざらしの石仏だったが、のちにお堂が建てられ、ムラが管理するようになった。昭和の初めまでは天道念仏の場で、旧暦二〜四月の一日・一五日・二四日に、六〇〜七〇歳の老人が日の出とともに鉦を九つ打って念仏をあげた。そのためにムラが寄付を集め、土を盛り堀をめぐらして地蔵堂を建てた。堂の仕守はかつて大森常家が務めた。いまも大森家が安産の守りを出すが、もとは住谷次郎右衛門家が出していた。年に二、三度は稲田の東聖寺の僧が堂前で護摩をたき、近郷から人が集まって、笠間の金丸一座や神楽・芝居でにぎわったという。

原典より

上高場の六地蔵は、大正一〇年(一九二一)ごろまでは野ざらしの地蔵であったが、現在はお堂も建てられ、ムラの管理に移されている。—— 勝田市史 民俗編――小祠の信仰と流行神(勝田市(編)・勝田市史) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

勝田市史 民俗編――小祠の信仰と流行神(勝田市(編)・勝田市史)

『勝田市史 民俗編――小祠の信仰と流行神』は、勝田市の市史の民俗編のうち、「信仰生活」の部の一部である。鎮守祭礼の移り変わりに続いて、屋敷神や同姓の家々で祀るウジガミと系図祭り、カマド神やエビス・大黒などの屋内の神々、病気や安産の祈願を集める小祠を、市域のムラでの調査と聞き取りによって記す。後半では流行神として上高場の六地蔵、腹切り佐七、塚信仰、東石川大島の無縁様を取り上げ、その由来と信仰の広がりをたどる。

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