左甚五郎が一夜で建てた大御堂
どんな伝承か
無量寿院の山門のすぐ東には、かつて八間四方もある大きな御堂が建っていた。左甚五郎がひと晩で三つの大御堂をこしらえたことがあり、これはそのうちの一つだという。甚五郎はもう一つ別の御堂を仕上げたあと、三つ目として下柏間の御堂に取りかかったが、途中で夜が明けて棟を組み上げられなかった。しかたなく道具箱を載せておいたので、下柏間の大御堂は箱棟の造りになったと伝わる。無量寿院の大堂は厚い草屋根のお堂だったが、やがて葺き替えができなくなり、笠原の郷地の寺へ売られて、瓦屋根の少し違う姿に変わったという。
原典より
これは、あるとき左甚五郎が、一夜のうちに三つの大御堂を作ってしまったことがあるが、その一つであった。—— 北本市史 第6巻(民俗編)――伝説(北本市(編)・北本市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
北本市史 第6巻(民俗編)――伝説(北本市(編)・北本市史)
『北本市史 第6巻(民俗編)――伝説』は、北本市の市史民俗編のうち、第十一章「伝説・世間話・昔話・諺」の冒頭部分である。章の「はじめに」で四者の性格を説いたのち、第一節「伝説」に蒲桜・龍灯杉・一夜堤や多くの塚の伝承、送りオオカミ・河童・禁忌動物、おたきあげ・十日夜の由来など四十二項目を収める。多くの項目は見出しに石戸宿・高尾などの伝承地を添え、話者名や「埼玉県伝説集成」などの出典を▽で示す。