道長が臨終に祈禱を退け念仏往生
どんな伝承か
藤原道長は、娘たちの病や出産には熱心に加持祈禱を行わせ、自らも護身の法を修めるほどだったが、自分の臨終にあたっては祈禱をはっきりと拒んだ。『栄花物語』によれば、自分を気の毒に思う者は病を治そうと祈ってはならない、祈れば自分は悪道に落ちる、ただ念仏だけを聞かせよと言い残した。周りの者たちはこれも物怪の言わせることだとささやき合いながら祈禱をやめたという。道長は念仏の声が御堂を満たすなか、北枕で西を向いて臥し、阿弥陀如来像の手から引いた五色の糸を握って息を引き取った。源信が『往生要集』で説いた臨終の作法をそのままなぞる最期であった。
原典より
頭を北枕に、面を西に向けて臥し、阿弥陀如来像の御手から引いた五色の糸を両手にとって寂滅したのである。—— 日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・1976年(昭和51年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・1976年(昭和51年))
『日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史』は、山折哲雄が霊魂と身体の相関を軸に日本人の霊魂観を論じた論考集で、あとがきは一九七六年六月の日付である。序章で和辻哲郎・津田左右吉・折口信夫・柳田国男らの霊魂論を検討し、『日本霊異記』の蘇生説話にみる遊離魂と殯、天皇の病と看病僧の呪法、平安宮廷の物のけと不動法、源信『往生要集』の観想を各章で論じる。雑誌に発表した論文をまとめ、巻末に物のけ現象の資料と憑霊年表を付す。