湯河原境川のヤイシ拾い
どんな伝承か
十一月四日、湯河原駅のホームで電車を待っていた柳田国男は、風呂敷包み二つを提げ、汗をふきふき上がってきた五十近い男に出会った。包みの中身は三寸ほどの平たい石ばかりで、地曳網の底に一つずつ結わえ付ける錘にするという。丸すぎる石は転がるので形をそろえて拾い、一日がかりで七十ほど集めたと話した。この辺の者は昔から伊豆と相模の境を流れる湯河原の川原へ石を拾いに来るといい、男は平塚の網主であった。柳田がイワと呼ぶのかと尋ねると、漁師はみなヤイシと言うと答えた。
原典より
昔からこの湯河原の川原へ、この辺の者は拾ひに来るといふ。—— 定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。