湖山長者を滅ぼした猿の祟り
どんな伝承か
湖山長者がその年に限って千町の田を植え終えられなかった理由を、柳田国男が近頃見た書物は猿の祟りだと記していた。田植えの日、長者の千町田の中の道を、人の背丈ほどもある大猿が子猿を背負って通った。早乙女たちが珍しがってあれこれ眺めているうちに、大勢のことなので植え付けが大きく遅れてしまった。大猿はそうさせるために子を負って来たのだという。柳田は、こうした細かな損得の勘定は長者の話にそぐわず、後世の考えが混じったもので、伝説としての価値は低いと評している。
原典より
此日長者の千町田の中の道を、人の長ほどある大猿が子猿を負うて通つた。—— 定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。