信玄と家康の激戦跡に築かれた千人塚
どんな伝承か
元亀三年十二月、武田信玄と徳川家康の軍勢が、いまの浜松市積志町のあたりで刃を交えた。戦いは長引いて勝敗がなかなか決まらず、両軍の死者が積み重なって山のようになったと伝わる。戦のあと、その亡骸を葬るために塚が築かれ、千人塚と呼ばれるようになったという。『浜名郡誌』が旧浜名郡積志村の言い伝えとして書き留めている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説名彙(柳田国男・日本放送協会・昭和25年刊)
柳田国男・日本放送協会編『日本伝説名彙』を全650話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。