十万匹を収容した御犬小屋の旧跡
どんな伝承か
江戸時代、今の中野駅を中心に、南は桃園、北は新井や上沼袋、西は高円寺にまで及ぶ約三十万坪の土地に、幕府の御犬小屋が置かれていた。五代将軍綱吉が生類憐愍の令を出したのち、元禄七年に東大久保へ犬小屋を造って江戸中の野犬を集めると、たちまち十万匹を超えて手狭になり、翌八年十月から中野に大規模な小屋が築かれた。大名を普請奉行に任じて翌九年二月に完成し、犬奉行四人も置かれた。この地は中野御用屋舗、中野御囲と呼ばれ、囲町の名はその名残だという。著者は、世嗣を願う綱吉に殺生を禁じよと説いた僧隆光の進言と、迷信に根ざした暴政を厳しく批判している。
原典より
そこでたちまち犬小屋が狭隘となったため、翌八年十月、さらに中野地方に前記のような大規模な犬小屋を建てたのである。—— 城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年))
『城西風土記と昔語り』は、東京中野の江古田に住んだ熊沢宗一が昭和三十四年に著し、自ら発行した郷土誌である。中野長者と淀橋の伝説、御犬小屋や桃園の旧跡、新井薬師、江古田の獅子舞、内藤新宿や高田馬場の昔語りなど、中野と近在の伝説・旧跡・寺社を、古文書や碑文、琵琶歌も交えて記す。全二十章の後半には著者の百姓時代や終戦直後の食糧事情、台風の被害、日露戦争の軍隊日誌を収め、巻末に著者略歴を付す。