三田光一による念写実験
どんな伝承か
昭和二年三月十一日の午後、照国神社の宮司占部真一のもとを訪れた三田光一が、今日は気分がよいので念写をしてもよいと申し出た。元県立病院長の村田豊作らが立ち会い、神社の小使が市内の店で買ってきた包みのままの乾板一ダースを卓の中央に置いた。題は二枚目に島津斉彬公、四枚目に西郷南州翁、六枚目に谷村弁護士の亡父赤塚源太郎翁などと決まった。三田は目を閉じて精神を統一し、一分二十秒ほどで終えた。念写を手品と疑っていた写真師神山富三郎が、神社から二丁ほどの自分の写真館の暗室で立会人と現像すると像が浮かび、一同は大騒ぎになった。社務所に残った三田は、その暗室の様子を次々と言い当てていたという。
原典より
神山氏は笑いながら話し続けて皿をゆすっている中に突然音声を上げた。—— 九州写壇の回顧より心霊写真(神山紫陽) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
九州写壇の回顧より心霊写真(神山紫陽)
『九州写壇の回顧より心霊写真』は、神山紫陽が九州の写真界を回顧した文章のうち、心霊写真と写真材料を述べた部分である。昭和二年三月、鹿児島市の照国神社で三田光一が島津斉彬・西郷隆盛・赤塚源太郎の像を乾板に念写した実験を、宮司占部真一の寄稿と、現像を受け持った筆者の兄神山富三郎の話によって伝える。立会人・出題・現像の様子・社務所からの透視・写真ごとの説明を順に記し、後段では明治から昭和にかけての乾板の移り変わりを述べる。