船島で小次郎を破った武蔵
どんな伝承か
京都で吉岡一門を破った武蔵は、豊前小倉の細川家で剣を教える佐々木小次郎の評判を聞き、慶長十七年四月に小倉へ着いた。家老長岡佐渡の仲立ちで、十三日の朝に船島(今の巌流島)で立ち会うことが決まった。武蔵は下関の宿でゆるゆると起き出し、宿の主人にもらった木で木刀を削り、催促の飛脚が重ねて来てから小舟で渡って、約束より二時間ほど遅れて島に着いた。待ちかねた小次郎が刀を抜いて鞘を海へ投げると、武蔵は「小次郎負けたり」と叫び、打ちかかってきた小次郎の頭を木刀で打ち、さらに脇腹を打って倒したという。
原典より
武蔵は右の有様を見て足を留め、一声高く「小次郎負けたり」と叫んだ。—— 観念は生物なり(福来友吉・心霊・念写研究) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
観念は生物なり(福来友吉・心霊・念写研究)
『観念は生物なり』は、福来友吉が諸雑誌に発表した論文を集めた心理学と心霊研究の論集で、日本心霊学会刊、序は大正十四年春に箕面山の麓で記されている。観念と身体の関係、夢、潜在精神と病気、プランセット(自動書記)、狐憑病の伝染や尼寺のヒステリー、宮本武蔵の剣道などを論じる。明治四十三年以来接した御船千鶴子・長尾郁子・三田光一ら八人の通力者の透視と念写の実験も報告し、「観念と身体との関係」から「生命学と心霊研究」までの十四篇を収める。