封を解かずに中身を言い当てた三田光一
どんな伝承か
神戸の三田光一は関西各地で透視や念写を公開して評判だったが、学者の研究には応じたがらず、福来が自ら実験物を出せたのは一度きりだった。福来は二枚の乾板を重ねて何重にも包み、封じ目に印を押して写真に撮り、木箱に入れて神戸へ郵送し、浅草観音堂の裏に掲げた山岡鉄舟の額の文字を透視して乾板に念写するよう頼んだ。大正六年二月十八日の夜、大垣町の森恭造の家で郡長らが立ち会う中、三田は包みを解かずに箱の中身を細部まで言い当て、返送された乾板には南無観世音の五字が現れていたという。
原典より
乾板を現像して見るこ、山岡先生の書風で南無觀世音の五字が分明に現出した。—— 観念は生物なり(福来友吉・心霊・念写研究) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
観念は生物なり(福来友吉・心霊・念写研究)
『観念は生物なり』は、福来友吉が諸雑誌に発表した論文を集めた心理学と心霊研究の論集で、日本心霊学会刊、序は大正十四年春に箕面山の麓で記されている。観念と身体の関係、夢、潜在精神と病気、プランセット(自動書記)、狐憑病の伝染や尼寺のヒステリー、宮本武蔵の剣道などを論じる。明治四十三年以来接した御船千鶴子・長尾郁子・三田光一ら八人の通力者の透視と念写の実験も報告し、「観念と身体との関係」から「生命学と心霊研究」までの十四篇を収める。