三田光一の大垣城念写
どんな伝承か
大正五年十月十六日午後九時、岐阜県大垣町の日吉座で、三田光一の念写が公開された。見物人は二千人に上り、陸軍少将や中学校長、郡長、警察署長らが立会人として壇上に並んだ。町の写真師河野三郎が乾板三枚を包んで箱に入れ、三田の前に置いた。題目は見物人の賛成で「大垣城」と決まり、三田は文字でなく城そのものを写すことを引き受け、もう一枚には「霊妙」の文字を写すと告げた。二分ほどの統一で城の様子を語り、それぞれ二分ほどで念写を終えた。会場を暗くして河野が立会人の前で現像すると、霊妙の文字と大垣城が鮮やかに現れたという。
原典より
右の實瞼が終るこ、直に會場の燈を消して赤燈こなし、河野氏が立會人監視の下に現像したるに、靈妙の文字こ大垣城こが美事に現出した。—— 観念は生物なり(福来友吉・心霊・念写研究) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
観念は生物なり(福来友吉・心霊・念写研究)
『観念は生物なり』は、福来友吉が諸雑誌に発表した論文を集めた心理学と心霊研究の論集で、日本心霊学会刊、序は大正十四年春に箕面山の麓で記されている。観念と身体の関係、夢、潜在精神と病気、プランセット(自動書記)、狐憑病の伝染や尼寺のヒステリー、宮本武蔵の剣道などを論じる。明治四十三年以来接した御船千鶴子・長尾郁子・三田光一ら八人の通力者の透視と念写の実験も報告し、「観念と身体との関係」から「生命学と心霊研究」までの十四篇を収める。