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婆谷の一件を詫びに魚津の浅田家へ

所在地富山県魚津市
年代明治大正期
登場高橋宮二、淺田、婆谷の温泉の持ち主(謝罪の相手)
出典修養と通力

どんな伝承か

雨が上がった翌朝、一行は久しぶりにまともな飯を腹いっぱい食べ、切り立った婆谷を攀じ登って、午後三時ごろ再び大黒鉱山の悲惨な跡にたどり着いた。著者はそのまま信州へ山越えする予定だったが、無人の温泉宿に押し入って米を食べた一件を詫びようと考え直し、鉱山を発って越中魚津町へ出向き、温泉の持ち主の浅田家を訪ねてじかに謝罪した。そのうえで引き返し、黒部の長い谷十余里の無人境を、今度はたった一人で踏破しようと決めた。往きと同じ道なので案内人はいらないと考えて魚津町を発ち、舟見の宿場から鐘釣温泉までは、話し相手もないまま沿道の景色を楽しんで歩いた。

原典より

そこで余は直に信州へ山越へする筈てあつたが、旅程を變じて、 に舍宅侵入糧食窃取の犯罪を犯かせし婆谷一件の謝罪をも兼ね、…—— 修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年)) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年))

『修養と通力』は、高橋宮二が著し、大正二年に東京宝文館から発行した、深呼吸による精神修養と千里眼の実験の記録である。第一編「実験四年」は、修養の方法と焼岳での雪中の修養を述べ、千里眼の能力を得た妻貞子を明治四十三年から四年間養い、福来友吉博士らの立ち会いで透視と念写を試みた経過を記す。第二編「山の趣味」は附録の紀行で、北アルプスの大黒鉱山で雪中に半年埋もれた人夫六人の遺体を片付けた顛末と、黒部谷や中津川への旅を収める。

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