一直線登頂に宿主仰天
どんな伝承か
焼岳から夕方に宿へ戻った著者を、未明に出たきり帰らない二人の身を案じていた温泉場の主人が、飛びつくように喜んで迎えた。著者が、中腹で道を見失って壁のような斜面を一直線に頂上まで登り、そのうえ火口までのぞき込んだと話すと、主人は腰を抜かさんばかりに驚いた。焼岳は北側から下を回り込んで登るのが順路で、この地で案内を生業とする人夫でさえ真っすぐ頂上を極めた者はいないというのである。同行の書生は、登る途中から妙だと思っていたと独り言をもらした。著者はなおこの温泉場に滞在して、爺ヶ岳や穂高岳にも雪中登山を試みたかったが、降雪が激しく断念した。
原典より
イヤ實に驚いた、全體燒岳は北より下方を迂回して登るのが順路なるに、一直線に進みて頂上を極めたとは真に未聞の話である、…—— 修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年))
『修養と通力』は、高橋宮二が著し、大正二年に東京宝文館から発行した、深呼吸による精神修養と千里眼の実験の記録である。第一編「実験四年」は、修養の方法と焼岳での雪中の修養を述べ、千里眼の能力を得た妻貞子を明治四十三年から四年間養い、福来友吉博士らの立ち会いで透視と念写を試みた経過を記す。第二編「山の趣味」は附録の紀行で、北アルプスの大黒鉱山で雪中に半年埋もれた人夫六人の遺体を片付けた顛末と、黒部谷や中津川への旅を収める。