氷点下の絶壁で裸体修養
どんな伝承か
明治四十三年十一月、焼岳の山頂近くまで登った著者は、風向きが変わって噴煙が迫ってきたため、麻縄と鉄鎚を頼りに断崖を七、八十間下った。命拾いをした恐ろしさに全身が震えたが、これしきで怯えては胆力の修養にならないと自分を叱り、海抜九千尺近い高所で防寒の服を脱ぎ捨て、裸になって絶壁に臨んで座った。刃物のような寒風の中で一時間ほど深呼吸を続けるうち、初めは身に沁みた寒さも感じなくなり、無念無想の境に入った。同行の書生がその姿を写真に収めて喜ぶ声で我に返ると、体は氷のように冷えきっていたが、心は言いようもなく爽快だったという。本の巻頭に載せた裸体写真はこの時のものだと著者は記している。
原典より
巻頭に掲ぐる余の裸體寫真は即ち當時撮影した紀念の一品て決して、讀者に供覽用の製造寫眞てない、…—— 修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年))
『修養と通力』は、高橋宮二が著し、大正二年に東京宝文館から発行した、深呼吸による精神修養と千里眼の実験の記録である。第一編「実験四年」は、修養の方法と焼岳での雪中の修養を述べ、千里眼の能力を得た妻貞子を明治四十三年から四年間養い、福来友吉博士らの立ち会いで透視と念写を試みた経過を記す。第二編「山の趣味」は附録の紀行で、北アルプスの大黒鉱山で雪中に半年埋もれた人夫六人の遺体を片付けた顛末と、黒部谷や中津川への旅を収める。