婆谷の無人温泉で豪雨に籠城
どんな伝承か
明治四十二年六月中旬、著者は小林区署員と人夫を加えた一行四人で舟見を発ち、黒部川の本流に沿って黒部谷をさかのぼった。七里ほど先の一軒家の鐘釣温泉に泊まり、翌朝さらに奥へ進むと、二里ほどで前方の高い峰が雲に包まれ、たちまち谷を閉ざして激しい豪雨となった。身を寄せる小屋もなくずぶ濡れになり、残雪の寒さに震えていると、人夫が一里半先に昨年まで営業していた無人の温泉があると言う。危うい吊り橋を二つ渡り、滝となった流れを越えて命からがらたどり着いたのが、黒部谷の尽きる所にある婆谷の温泉だった。一同は蛇などの死骸が腐った浴槽を洗って湯を引き、露天の湯で暖を取りながら一夜を明かした。
原典より
此所は黒部谷の盡きる所で、何れへ志すも皆な斷崖絶壁の大谿谷!其名も気持悪しき婆谷の温泉である、—— 修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年))
『修養と通力』は、高橋宮二が著し、大正二年に東京宝文館から発行した、深呼吸による精神修養と千里眼の実験の記録である。第一編「実験四年」は、修養の方法と焼岳での雪中の修養を述べ、千里眼の能力を得た妻貞子を明治四十三年から四年間養い、福来友吉博士らの立ち会いで透視と念写を試みた経過を記す。第二編「山の趣味」は附録の紀行で、北アルプスの大黒鉱山で雪中に半年埋もれた人夫六人の遺体を片付けた顛末と、黒部谷や中津川への旅を収める。