修養で医者代が減った家
どんな伝承か
明治四十三年七月初旬、著者が神田区三崎町の恩人の邸に泊まったとき、夫人も令嬢も書生たちも熱心に深呼吸の修養を行っていた。書生部屋をのぞくと、快活な連中が修養の話に余念がなく、いずれも遠慮なく腹部を叩いてその膨張を誇っていた。著者の姿を見た一青年は、君のような冒険家こそ深山幽谷を利用して気海丹田を養う必要があると堂々と説明し、その実行が有益であること、現に当家では一同が修養を実行しているため、毎年支払うべき医師の報酬が減じたということを、効験として物語った。これを聞いて著者は深く感動し、自分もやってみようと、その日から練習を始めたという。
原典より
余の姿を見たる一青年はドーダ君の様な冒険家は須らく深山幽谷を利用して大に氣海丹田を養ふの必要があると、…—— 修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年))
『修養と通力』は、高橋宮二が著し、大正二年に東京宝文館から発行した、深呼吸による精神修養と千里眼の実験の記録である。第一編「実験四年」は、修養の方法と焼岳での雪中の修養を述べ、千里眼の能力を得た妻貞子を明治四十三年から四年間養い、福来友吉博士らの立ち会いで透視と念写を試みた経過を記す。第二編「山の趣味」は附録の紀行で、北アルプスの大黒鉱山で雪中に半年埋もれた人夫六人の遺体を片付けた顛末と、黒部谷や中津川への旅を収める。