越中魚津の淺田家が拓いた霊泉
どんな伝承か
一行が雨宿りした婆谷の温泉は、越中魚津町の資産家浅田某が数年前にこの地方を探検した際、霊泉であることを知って、半ば別荘のつもりで設けたもので、家屋の造りもなかなか上等だった。一行が寝起きしたのはその長屋で、棟続きには立派な二階建てもあったが、雨戸はすべて釘付けにされ、出入りはできなかった。同行の小林区署員の説明では、昨年までは湯治客を受け入れて営業していたが、登る道が険しく人里から遠いため、この年から全く廃業してしまったのだという。
原典より
抑も此温泉場は越中魚津町の素封家淺田某が數年前此地方を探險して、其靈泉なるを知り、半ば別莊的に設へたるものにして家屋建築の工合なぞは仲々に高尙である、…—— 修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年))
『修養と通力』は、高橋宮二が著し、大正二年に東京宝文館から発行した、深呼吸による精神修養と千里眼の実験の記録である。第一編「実験四年」は、修養の方法と焼岳での雪中の修養を述べ、千里眼の能力を得た妻貞子を明治四十三年から四年間養い、福来友吉博士らの立ち会いで透視と念写を試みた経過を記す。第二編「山の趣味」は附録の紀行で、北アルプスの大黒鉱山で雪中に半年埋もれた人夫六人の遺体を片付けた顛末と、黒部谷や中津川への旅を収める。