観音堂の鰐口と脱衣婆の祟り
どんな伝承か
昔、倉治村で悪い病がはやったが、隣の森では病が広がらなかった。森の須弥寺に脱衣婆の仏像があるおかげだという。そこで倉治の村人たちは、その仏像を借りて拝もうと決め、借り受けて寺村の一本松まで運んできたところ、にわかに雷雨が起こり、どうしても持ち帰ることができなくなった。村人たちは仏の祟りだと悟り、持ち出そうとした浅はかさを詫びて鰐口を奉納した。須弥寺の観音堂の鰐口には、いまも「倉治村」の文字が刻まれている。
原典より
それは、須弥寺に「脱衣婆」という仏像があるからだということだった。—— 交野市史 民俗編――伝説(交野市(編)・交野市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
交野市史 民俗編――伝説(交野市(編)・交野市史)
『交野市史 民俗編――伝説』は、交野市が編んだ市史の民俗編から伝説の章を収めたものである。交野の各地に伝わる池・古墳・寺社・地名にまつわる伝えを集め、産所とよな池、弘法大師の蚊封じの池、獅子窟寺の再建の由来、小松寺の起こりなどを、所在地や文献の記述を添えて記す。郡津・倉治・私部・森・寺・傍示・私市・星田の八地区を節に立て、地区ごとに話を並べる。