小沼の主の大蛇となった道玄の娘
どんな伝承か
赤堀村の赤堀道玄は裕福な家で、酒造りをしていたともいう。美しい一人娘はいつも部屋にこもっていたが、女中がのぞくと島田に結って化粧していたり、髪を乱して手拭をかぶり頭の真ん中に毛がなかったりする。母親が見に行くといつもの姿なので、女中ばかりが叱られた。ある日娘はどうしても赤城山へ登りたいと願い、赤飯を持たされ駕籠で出かけた。小沼のほとりで景色を眺めていた娘は突然沼へ身を投げ、自分は沼の主の大蛇だと告げて沈み、やがて恐ろしい大蛇の姿で水面に現れた。娘の両脇には幼いころから鱗のようなものがあったという。元文三年の上植木村の書上帳には別の形で伝わり、赤城参詣の折に小沼へ引き込まれて主となったのは赤堀氏の奥方で、赤堀殿は妻の行方を見ようと大勢を連れて沼の細土手を掘り割らせたが、にわかの嵐と大蛇の荒れようにかなわず引き返したという。小沼には今も赤堀殿の掘口という古い堀が残り、それ以来赤堀の名字の者は赤城山へ参詣しないと言い伝えられている。
原典より
なお、娘には子供のときから、両方の脇の下に蛇の鱗のようなものがあったという。—— 伊勢崎市史 民俗編――俗信と伝説(伊勢崎市(編)・伊勢崎市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
伊勢崎市史 民俗編――俗信と伝説(伊勢崎市(編)・伊勢崎市史)
『伊勢崎市史 民俗編――俗信と伝説』は、伊勢崎市が編んだ市史民俗編のうち、俗信と伝説・昔話の節の抜粋である。オサキや水死体を知らせる鶏などの俗信と、赤城と日光の神戦、赤堀道玄の娘の入水、『神道集』の宮子の龍宮、義経や鎌倉権五郎にまつわる伝説を、『伊勢崎風土記』などの記録や土地の語りを引いて記す。伝説を赤城山・『神道集』・義経・権五郎・寺社・入定・城などの七類に分けて述べ、十二支由来などの昔話を続ける。