番匠村溜井の境界争い
どんな伝承か
慶応三年の夏はひどい日照りで、番匠村では田ばかりか畑の作物まで枯れたが、年貢の減免は聞き入れられなかった。村人たちはこれを機に傷んだ溜井を直そうと見て回り、甲の屋敷脇の古い溜井に目をつけた。そこは十二、三年前にも境が分からなくなり、立ち会いで杭を打って決めた所だったが、杭が朽ちて再びあいまいになっていた。甲は溜井の真ん中の山椒の木まで自分の土地だと言い張り、医光寺の法印らが仲に入っても応じず、地頭の見分を受けるまで承知しないと江戸へ発った。甲の訴えで翌年二月に村役人らは羽生の役所へ呼び出されたが、村は元禄三年の村絵図と、安政二年に甲の父が境の誤りを詫びた一札を探し出し、地頭へ届けた。
原典より
そこで甲に断って改めようとしたところ、甲が溜井中央の山椒の木の所まで自分の土地だと言い張って聞き入れない。—— 近世史料にみる憑き物「オーサキ狐」の諸相(小池信一) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近世史料にみる憑き物「オーサキ狐」の諸相(小池信一)
『近世史料にみる憑き物「オーサキ狐」の諸相』は、小池信一が著した、埼玉県に関わりの深い憑き物オーサキ狐を近世の古文書から論じた研究論文である。寛延四年の秩父郡三山村「おうさき」追放の再請書、天保六年の尾先狐追放教諭の触をめぐる村役人の願書、慶応三年から翌年にかけての比企郡番匠村の沼境と尾崎狐をめぐる出訴一件の三史料を翻刻する。はじめにで民俗調査から知られる俗信を六項目に整理し、各史料に解説を付す。