史料三 慶応三年 比企郡番匠村 沼界並尾崎狐出訴一件
どんな伝承か
慶応三年夏の大旱魃を機に、比企郡番匠村では荒れた溜井を直そうとしたが、甲が居屋敷脇の古溜井の中ほどまで自分の土地だと言い張り、羽生の役所へ訴え出た。一方、甲の兄乙の家には尾崎という悪狐が潜むと前々から噂され、村では十五、六年来、丙の娘をはじめ二十人余が変病を患い、乙の狐が恨みで取り憑いたと口走り、死ぬ者も出た。文久二年には隣村五明村の若者が憑かれたとして戸板で乙方へ担ぎ込まれた。村は乙に狐封じの祈禱をさせるよう地頭の役所へ願い出て、村民は山林に集まり江戸の屋敷へ押しかける構えも見せたが、慶喜謹慎の時節柄ひとまず鎮まり、決着を見ないまま終わった。
原典より
しかし、憑き物オーサキ狐の俗信が一村全体を巻き込んだ、幕末の混乱と不安な世相を象徴するような事件であった。—— 近世史料にみる憑き物「オーサキ狐」の諸相(小池信一) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近世史料にみる憑き物「オーサキ狐」の諸相(小池信一)
『近世史料にみる憑き物「オーサキ狐」の諸相』は、小池信一が著した、埼玉県に関わりの深い憑き物オーサキ狐を近世の古文書から論じた研究論文である。寛延四年の秩父郡三山村「おうさき」追放の再請書、天保六年の尾先狐追放教諭の触をめぐる村役人の願書、慶応三年から翌年にかけての比企郡番匠村の沼境と尾崎狐をめぐる出訴一件の三史料を翻刻する。はじめにで民俗調査から知られる俗信を六項目に整理し、各史料に解説を付す。