南陵の名が刻まれた古石槨
どんな伝承か
紀州の南陵院さまは、亡くなる前に、自分が死んだら岡の山という所に葬るようにと遺言していた。そこは和歌山の城の近くである。逝去ののちその場所に墓穴を掘ると、一丈あまり下から石の棺が一つ出てきた。中には遺骸が一体と杖が一本あるだけだったが、棺の蓋には南陵の二字がはっきりと刻まれていた。それより先に菩提所から差し上げられた法号は南陵院であり、まさに符節を合わせたようだと当時の人々は驚き、紀州では今も語り伝えているという。安藤霜台の話である。小泉丹は、昔の貴人の墓が南の方角にあって南陵と呼ばれ、忘れられていたところに偶然同じ名が付いたのだろうと見ている。
原典より
右石槨の内には一体一杖有りて外には何もなく、石槨の蓋に南陵の二字顕然と有けるが、…—— 科学的教養(小泉丹・小泉丹・科学論・1948年(昭和23年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
科学的教養(小泉丹・小泉丹・科学論・1948年(昭和23年))
『科学的教養』は、小泉丹が昭和二十三年に春秋社から刊行した、科学的なものの見方を説く評論である。精確さ・合理性・実証の面から科学的と非科学的の違いを論じ、河童の記録や呪いの効き目、『耳袋』の怪異談、狐憑き、幽霊・化物屋敷、人魂・鬼火・怪火を例に、日本人のものの考え方を検討する。昭和十七年に書いた前版を戦後に改稿したもので、序と起序に続く七章から成り、旧稿の終わりの二章を除いたと序に記す。