仁徳陵の巨大築造と石棺露出
どんな伝承か
仁徳陵は古墳中期の前方後円墳で、墳丘の長さは四八〇メートルと応神陵をしのぎ、高さは三五メートルに及ぶ。一人が一日に運べる土の量から見積もると、墳丘を盛るだけで延べ百四十万人余りの労力が要り、毎日千人を働かせても四年近くかかる計算になるという。陵の内部の調査は認められていないが、明治五年に前方部の土が崩れたとき、仁徳天皇のものではない石棺が姿を現し、その外には金メッキの甲冑や鉄の刀、ガラスの器が置かれていた。死者の霊のために途方もない陵墓が築かれた例として挙げられる。
原典より
天皇陵内部の調査研究は認められていないが、一八七二年(明治五)たまたま仁徳陵前方部で土崩れがあり、仁徳天皇のものではない石棺が露出した。—— 霊魂の博物誌――原始生命観の体系(碓井益雄・碓井益雄・民俗学・1982年(昭和57年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊魂の博物誌――原始生命観の体系(碓井益雄・碓井益雄・民俗学・1982年(昭和57年))
『霊魂の博物誌――原始生命観の体系』は、動物発生学を専攻した碓井益雄が著し、昭和五十七年に河出書房新社から刊行した書である。原始・古代の人々が霊魂をどう考えたかを、日本と諸外国の神話・民俗・古典・言葉の資料から説き、気息や人魂、風や雲、鳥や昆虫、幽霊や影として現れる霊魂の姿と、内臓・心・感覚器官に宿るとされた霊の座を論じ、屎尿や屁、名前と言霊にも章や節を割く。序章と全九章からなり、各章末に参照文献の注を付す。