多治比文子に降りた道真の託宣
どんな伝承か
延長八年の清涼殿落雷から十二年を経た天慶五年(九四二)、右京七条に住む多治比文子のもとへ菅原道真の霊が言葉を下した。さらに五年後の天暦元年には、近江国比良宮の禰宜の子にも同じ託宣が降ったという。道真は延喜三年に大宰府で憤死し、続いて時平が世を去り、その娘を妻とした皇太子保明親王も二十一歳で逝った。落雷の当の犯人も道真の怨霊だという説が流れ、怨霊の噂はこの時点で動かしがたいものになっていた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・1976年(昭和51年))
『日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史』は、山折哲雄が霊魂と身体の相関を軸に日本人の霊魂観を論じた論考集で、あとがきは一九七六年六月の日付である。序章で和辻哲郎・津田左右吉・折口信夫・柳田国男らの霊魂論を検討し、『日本霊異記』の蘇生説話にみる遊離魂と殯、天皇の病と看病僧の呪法、平安宮廷の物のけと不動法、源信『往生要集』の観想を各章で論じる。雑誌に発表した論文をまとめ、巻末に物のけ現象の資料と憑霊年表を付す。