鐘を打ちつつ土に入定した本海行人
どんな伝承か
慶長のころ、赤城の里に子のない田中左衛門夫婦がいて、神仏に祈った末に男の子の六衛門を授かった。六衛門は幼いころから仏を拝むまねばかりして遊び、長じて岩殿山正法寺にこもって修行し、修験者となって本海行人と呼ばれた。各地で加持祈祷を行い、善光寺には三十三回参籠して大日堂を寄進した。老いてからは家の裏の丘の麓に同じ大日堂を建てた。ある秋、命はあと三日だと告げて入定を望み、家族が泣いて止めるのも聞かずに大日堂の傍らの墓穴に棺ごと入り、竹筒で息を通して鐘を打ち続けた。三日目の夕方に鐘の音が絶えた。入定塚の上には供養碑が建てられたという。
原典より
かくて三日、真赤な太陽が秩父の峰みねに赤あかと夕映を残して静かに没するのと同時に、鐘の音ははたと止んだ。—— 東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説(東松山市(編)・東松山市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説(東松山市(編)・東松山市史)
『東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説』は、東松山市の市史の民俗編のうち、伝説の部分を収めたものである。岩殿山の悪龍退治や比企一族の落人の話、永福寺の河童の詫証文、箭弓神社の銭絵馬、狐に化かされた話、神かくし、雪女郎など、市内の寺社・坂・沼・塚にまつわる四十六話を載せる。多くは会話を交えた物語の形で書かれ、筆者が幼い頃に母から聞いた話や古老から聞いたままの話も含み、末尾に〔 〕で由緒や文献の注を添える。